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1月28日礼拝説教要旨

「教会の意義」  出エジプト26:31-33 ヘブル10:19-25

                       鎌野 善三

 クリスチャンの基本的な心得の第三は、「教会に集う」ことです。今まで学んだ聖書を読むことや祈ることは、自分一人でもできますが、教会生活は一人ではできません。旧約時代には人々は神殿に集っていたのですが、新約の教会にはそれとは違う3つの意義があります。

 一、信仰をもって神に近づく

 神殿の場合は、人々は動物のいけにえを携えて集ってきました。しかし、主イエスが十字架で犠牲の血を流された後には、もはやいけにえは必要ありません。主を信じる信仰だけでいいのです。教会は、この信仰者の集いであり、罪人が聖なる者と認められる恵みの場所にほかなりません。聖なる神の前に、どんな罪人であっても、信仰によって出ることができます。私たちは、罪赦された者との確信をもって、毎週の礼拝に出席しようではありませんか。

 二、希望を告白する

 罪赦された者は、神の国に入ることができるとの希望をもっています。旧約時代、「都のぼりの歌」を歌いながら人々がエルサレムに向かって歩んだように、私たちは「天の故郷」に向かって、兄弟姉妹と共に教会に励むのです。「約束された方は真実な方です」から、この希望をしっかりと告白しようではありませんか。薪は一本ではすぐ消えてしまいますが、多数の薪があるなら、燃え続けることができます。教会は、将来の神の国の姿を垣間見る所なのです。

 三、愛と善行を促す

 信仰を持ち、希望に生きる者は、現在の生活において「愛と善行を促す」ようになります。その行動は、まず教会の中で始まり、教会の中で学んでいくのです。たとい世の中は、金と欲と悪意が渦巻いていても、教会はそうであってはなりません。教会は決して理想郷ではありませんが、少なくともそれを目指していくべきです。人を裁いてはなりません。かえって愛を持って励ましましょう。主が再びおいでになる日が近い現在、心して歩もうではありませんか。人の集まりである教会は、いろんな問題があります。完全な教会などありません。それでも、神の国の建設は、この教会に委ねられています。主からの助けを頂いて、とみに進んでいきましょう。




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