2007年2月4日

2007年2月4日

本日の礼拝説教要旨

 「喜びの礼拝」  レビ1:3-4 ローマ12:1-2
                         鎌野 善三

 私たちが教会に集うのは、まず第一に礼拝をするためです。しかし、この1時間半が礼拝のすべてだと思ってはなりません。この時間に静かに祈り、み言葉を聞くことによって、この1週間どう生活するかを決断するのです。そのための指針が以下の3つと言えるでしょう。

1.からだをささげる
 旧約聖書の時代、人々は神殿に礼拝に来るときは、羊や牛やはとを供え物としてもってきました。新約時代はもはやそれらの動物は必要ありません。自分自身のからだをもってくればいいのです。それは、生きた、聖なる供え物です。出し惜しみしないで、きっぱりと主の前に差し出しましょう。それこそ、形式的な礼拝ではなく、神に喜ばれる、理にかなった、霊的な礼拝です。礼拝で献金をするのは、身をささげることを象徴的に示す行動にほかなりません。

2.わきまえ知る
 行動は、知性によってコントロールされる必要があります。礼拝の時に聖書を学ぶのは、「何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る」ためなのです。聖書を読めば、自分の行動が正しいかどうかを問われます。悪い行動であることに気付いたら、すぐに悔い改めましょう。自分の行動の動機が、愛なのか欲なのか、いつも静かに考えようではありませんか。神にささげた以上、もはや私たちのからだは自分のものではなく、神のものです。

3.自分を変える
 原語を正確に訳すと、「変えられなさい」という受身の命令形になります。自分の力で自分を変えることは非常に難しいのですが、み言葉に従っていくときに、不思議に変えられていくのです。しかも、それは青虫が蝶になるような変貌です。地上をはいずり回るのではなく、空中を自由に飛び回ることができるとは、何と喜ばしいことでしょうか。「そんなこと、不可能だ」と初めから思わないで下さい。全能の神様の偉大な力を軽く見てはなりません。

 普段の生活の中では、いつも神様のことを思っているわけにはいかないでしょう。それでも、自分の全ては主のものだと確信して歩んでいくなら、毎日が喜びに満ちた礼拝となるのです。

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